歌手活動

岸川美好、嬉野市長選に立候補しました。


岸川美好、嬉野市長選に立候補しました。
平成30年1月14日、嬉野市の市長選と、市会議員の選挙がありました。
この市長選に私 岸川美好が立候補しました。
今回3期市長をされていた谷口太一郎市長が引退されたので新人三名の選挙になりま
した。
谷口市長は2006年2月に旧嬉野町と旧塩田町の合併により嬉野市が誕生し初めての嬉
野市の市長に当選し三期12年市長をされました。
尚、旧嬉野町の時代も三期嬉野町の町長をされていました。
今回の市長選には私を含めて三名の方が立候補されました。
お一人は商業コンサルタントの藤山勝済さん67歳もう一人は佐賀新聞の記者で村上大
祐●さん35歳の方です。
藤山勝済さんは前回の市長選(四年前)の選挙に立候補され落選され今回が二度目の
市長選への挑戦でした。
もう一人の村上大祐さんと私は始めての挑戦でした。
私、以外のお二人は四年前から今回の市長選の準備をしておられいろんな組織や団体
から推薦を貰っておられました。
私が立候補の決心をしたのが告示から一週間前の1月6日の朝です
1月6日の朝、急に今回の市長選に出ようと想いました。
早速、妻 洋子に市長選に立候補したいと言いました。
妻は一も二もなく反対しました。
妻が反対したので無理かなと想っていましたら妻がさっきの話だけどもう一度聞かせ
てと言いました。
私は、、妻に想いを本気で言いました。
すると妻は想った通りやったらと言ってくれました。
そして、今回選挙の責任者をしてくださいました宮崎誠一さん、ご夫妻に電話をした
らと言いました。
私はすぐ宮崎誠一さんに相談があるのでぜひ、会いたいとー電話をしました。
するとすぐ来るからと言われ1時間後にご夫婦で来てくださいました。
早速、宮崎ご夫妻に市長選の立候補の事をお話しました。
宮崎さん、ご夫婦とも私の市長選への立候補に賛成してくださり私の市長選への立候
補が正式に決りました。
また、選挙の責任者にもなって頂きました、。
宮崎誠一さんは、妻が経営しているカラオケアロマのお客様で私達、歌好きの仲間で
す。
実は、嬉野市長選への立候補の想いは今から20年前(旧嬉野町)の時代嬉野町長への
立候補を考えていました。
当時は今ほど嬉野温泉が寂れてはいませんでした。
でも、寂れる予感がしていました。
その頃自分が嬉野の町長になってこの町をなんとかしたいと言う想いがあり立候補を
考えていました。
ところが、その頃は仕事の関係で町長になる事が無理で立候補の決心がつきませんで
した。
でも、今回は以前の嬉野に比べてとても寂れており自分が何とかしたいと想う心が強
く市長選に立候補する決心をしました。
1月6日(土曜日) 市長選に立候補を決めた夜カラオケアロマにてカラオケのお客様
に市長選に立候補する事をお話しました。
すると噂があっと広がり、報道関係者の耳に入りました。
2日後の1月8日(月曜日)の午後佐賀新聞の記者の方より電話があり取材に来たいと
の電話でした。
午後4時、佐賀新聞の記者の方が取材に来られました。
約2時間今回市長選に出る動悸や公約など聞かれました。
そんな中、西日本新聞の記者の方より電話があり取材をしたいと電話がありました。
6時には終わると想い6時に会う約束をしました。
ところが佐賀新聞の取材は2時間たっても終わりませんでした。
午後6時、西日本新聞の記者の方と共に数社の新聞者の方やテレビ局の方がこられま
した。
私はプロフィールや公約など書いた印刷物を取材にこられた記者の方にわたしました

翌1月9日の朝刊に掲載されました。
1月9日(火曜日)朝8時30分に嬉野市役所の選挙管理委員会に宮崎誠一さんと妻の
人で行きました。
そして、立候補する為の必要書類を頂き午前10時30分に自宅に帰ってきました。
自宅には報道関係の方が沢山待っておられました。
早速、記者会見、いろんな事を聞かれました。
約1時間の取材が終わり遅めの朝食をとりました。
1月6日市長選に立候補を決めた日の午後からは選挙に使う宣伝カーの手配、ポスター
の手配、運転手やうぐいす嬢その他選挙を手伝ってくれるスタッフさがしをしました

1月9日、市役所の選挙管理委員会からもらった提出書類の記入、選挙公約の作成報道
関係の書類などとても忙しい時間でした。
1月11日 選挙に出る為の供託金の振込みをしました。
選挙に出るには供託金をはらわなければ出る事が出来ません。
供託金の金額は選挙の種類によって異なり市会議員は30万円、市長は100万円、県知
事及び国会議員は300万円になっています。
この供託金の制度は本当に立候補の意思のあるかどうかの確認の意味です。
面白半分やひやかし半分で出る人を除く為の制度です。
供託金は一定の表がないと没収となります。
没収となる最低の表は有効投票数の10パーセントとなっております。
今回、嬉野市長選の有権者数は 22,453人、投票者数は 15833人 投票率は70.52%
でした。

従って15833表の10パーセント、1538表が必要です。
これ以下は供託金は没収となります。
また、選挙に必要な宣伝カー、ポスター、チラシ、運転手の給与、ガソリン代などの
補助も出ません。
1月11日午後銀行から供託金の100万円をおろし武雄の佐賀銀行から武雄法務局へ振り
込みました。
その後、法務局に行き振込み官僚の証明書を頂き帰宅しました。
これで一様選挙に出る事ができるようになりました。
1月13日、告示の前日、昼12時よりカラオケアロマの一月の月齢発表会があり参加し
ました、
発表会の参加者は二十数名の方がおられその場で今回の市長選への立候補の想いをお
話しました。
みなさんとてもおどろいておられました。
午後5時、嬉野公会堂に妻と二人で行きました。
この日は嬉野商工会青年部主催の市長候補の公開討論会が予定されており私も参加し
ました。
公開討論会は以前から計画されており、町のいろんな所に案内の掲示物が貼ってあり
ました。
当初はお二人だけの討論会でしたので討論会のやりかたが違っていましたが私が出た
事でやりかたがかわったそうです。
内容はコーリネータがあらかじめ指定している項目を一人一人候補者に質問する形式
で5つの項目がありました。
公開討論会の項目は1、教育・ 2、子育て、 3、医療福祉、 4、地域活性化・ 5
、まちづくりの五つでした。
他の二名の候補者はあらかじめノートに書いておられましたが私は文字を読む事が出
来ませんので全て言葉で伝えました。
会場には200名の方が来ておられました。
また、この討論会の様子が地元ケーブルテレビで生放送されました。
1月14日、いよいよ選挙が始まりました。
今回、岸川美好の選挙事務所は嬉野本通りのカラオケアロマが事務所です
午前8時30分選挙責任者の宮崎さんが嬉野市役所の選挙管理委員会に行き、立候補の
申し込みをして選挙の七つ
道具を貰ってきてくださいました。
また、ポスターを貼る為の掲示板の場所の籤んがあり1番をひかれました
午前10時事務所で出陣式を行いました。
事務所には20名の支持者と報道関係の10名の方がこられました
私は市長候補 岸川美好と書いたタスキと選挙管理委員会から頂いたリボンを胸に
けて今回立候補した目的をお話しました。
最後に私の想いを込め私の作詩作曲の(人生)を力を込めて歌いました。
みなさん、大きな拍手と声援をくださいました。
今回の市長選の私の公約は下記の通りです。
私が市長になってやること
①嬉野市を日本一の観光地にします。
・日本中・アジア中に嬉野市を宣伝します。
・嬉野伝統の文化芸能を保護し継承していきます
・吉田焼・志田焼を日本中、世界中に発信します
・嬉野市独自の食文化を守り育てます。
②若者がこの町で働く事のできる企業誘致
・新幹線、高速道路網のアクセスを生かす町作り
・研修生制度を利用した農業・産業の活性化
③高齢者、障碍者が安心して住める優しい町作り
・今の政策を更に住民に寄り添った政策にします
・未来の嬉野を担う子供たちへの教育の充実
・教職員の負担減の政策を考えます。
・現在の図書室を充実した図書館にします。
・嬉野幹部派出所を警察署へ格上げします・
以上が公約です。
いよいよ一週間の選挙選がはじまりました。
スタートは嬉野の本通を、妻の手引きで支持を訴えながら歩きました。
その後、宣伝カーに乗り、市内をうぐいす嬢のメッセージと共に私がマイクで挨拶し
ました。
車は二台、一台は私が乗る選挙の宣伝カー
もう一台は伴奏者でスタッフの方が乗っていました。
この日の伴奏者はポスター貼りで市内102ヶ所の掲示板に私のポスターを貼りに行っ
てくれました。
選挙の掲示板は市内に102ヶ所あり決められた場所にポスターを貼ります。
1月14日の朝、立候補の届けを出した時くじ引きで貼る場所が決ります。
私の場所は、1番の場所で102ヶ所全て1番の所に貼りました。
朝10時30分からポスター貼りをしたのですが終わったのは午後5時でした。
事務所ではスタッフの方が新聞に入れるチラシに選挙管理委員会からもらったチラシ
に貼るシールを一枚づつ貼ってくれていました。
新聞に入れるチラシの枚数も決っており16000枚しか入れる事ができません。
このシールのないチラシは配る事ができません。
もし、シールの無いチラシを配ると選挙違反になります。
妻は、選挙を手伝ってくれるスタッフの食事の準備で一日中忙しくしていました。
午後7時、外延活動を終えて事務所に帰って来ました。
みなさん本当に一生懸命に頑張ってくださいました。
今回私は100回以上の演説をしました。
場所によっては5分、10分と時間は異なりましたが一生懸命に自分の想いを伝えま
した。
今回、市長選に3名、市会議員選挙に18名の方が立候補しましたが演説をしたのは私
だけだったそうです。
1月20日、選挙の最終日朝8時から車で嬉野市内を外延しました。
午後4時スタッフ全員で嬉野の本通を歩いて最後の訴えをしました
途中10ヵ所で最後の演説をしました。
声は、前日でかれていましたがこれで終わりと思い最大限の大声で演説しました。
当日は盲導犬アロマも参加しました。
実は、平成15年盲導犬のバリアを取り除く為に全国47の都道府県知事への訪問の時四
国のデパートにあった盲導犬の人形(等身大)を荷車に載せてハーネスを付けて町を
歩きました。
六年ぶりの盲導犬との歩行でした。
町の皆様も天国に行ったアロマの事を思い出してくださいました。
午後8時、一週間の市長選が終わりました。
とても短く感じました。
今回、初めて選挙を戦い改めて人様のぬくもりを感じました。
また、厳しさも感じました。
この人はきっと入れてくれると想った人が(今回はもうすでに投票する人を決め手い
る すまないけど許して)と言う言葉を沢山聴きました。
とても正直な方です。
また、その気も無いのに入れるよという人もあり人様の心を見たような気がしました

1月21日、午前11時、妻と二人で投票場に行きました。
初めに市長の選挙の投票用紙を頂きました。
選挙の時はいつも同じですが係りの人に代理で書いて頂いています
今回も書いて頂きました。
係りの人は市長は誰に入れますかとたずねられました。
勿論岸川美好と頼みました
係りの人も勿論解っていましたが一様たずねてくださいました。
そして、投票箱に自らの手でいれました。
当選させてくれと心の中で祈りました。
その後市会議員の投票がありそれも代理で書いていただき投票しました。
今回、生まれて初めて投票に行って自分の名前を書く事がとても不思議でした。
今迄の選挙はいつも他人の名前を書いていました。
今回は、一生忘れられない投票日になりました。
午後7時投票が締め切られ選挙が終わりました。
私達夫婦は午後7時に選挙事務所に行き応援してくださったスタッフの皆様や指示し
てくださった方を待っていました。
次から次と支援者の方が集まってこられ事務所はわきあいあいと楽しい空気になりま
した。
午後8次嬉野市体育館で市長選の開票が始まりました。
選挙責任者の宮崎さんが体育館に行き開票の情況を見守ってくれていました。
午後9時30分宮崎さんより電話があり一回目の開票の票数の報告がありました。
村上さん 5000表 藤山さん5000表 岸川美好350表の報告でした。
開票率65パーセント時点
私は事務所で待機している支援者の方にこの数字をお伝えしました
みなさんいままでの元気はどこかに消えてシーンとなりました。
敗北が決定した瞬間でした。
さすがに元気な私もこの時だけはとても辛い想いでした。
でも、今私が元気をなくしてしまうと応援してくださった皆様に申し訳ないと想い(
まだ65パーセントの開票ですからきっと逆転しますよ)と言いました。
もちろん5000表と350表の差はちじめる事は出来ない事はだれよりも私がよく知って
います。
午後11時全ての開票が終わり村上大祐さんが当選しました。
1 村上大祐 無新 7890 2 藤山勝済 無新 7312 3 岸川美好 無新 415
当選した村上さんと落選した藤山さんの差は僅か580表の差で落選藤山さんはとても
悔しい思いではなかったかと想います。
私はお二人の20分の1の投票でしたので落選しても特別にショックはありませんでし
た。
むしろこれだけの表を頂いた事に感謝の心でいっぱいでした
落選が決り事務所にこられていた支援者の方も落胆して帰っていかれました。
最後に新聞社の取材があり今回の結果についての感想をたずねられました。
私はこの様に、感想を言いました。
1、今回の選挙は負けたとは想いません
なぜなら、私が立候補したのが告示から一週間前で準備の時間がなかった事です。
他の候補者は4年前から準備されていました。
私は一週間で415表他の方は4年間で7000表日割りで計算すると私の方が勝手いますよ
と言いました
2、今回私が負けた理由の多くは私が目が見えないと言うハンデーがあった事です。
多くの人は目が見えない人は何も出来ないと想っておられます。
その事が敗因の大きな原因だったと想います。
確かに、目が見えないと、読んだり書いたりは不十ですが、そんな物はどうにでもな
ります。
市長として一番大切なのは考え方やアイデアー実行力です。
また、周囲の方からのしがらみです。
選挙を応援してくれた人から要望があった時本当に断る事が出来るかどうかです。
市民の方に向いて政治を行うのか、支援者の方を向いて政治をするのか
3、私は今回残念ながら落選しましたが気持ちは嬉野市長になったつもりでこれから
も嬉野の為に頑張って行きます。
公約でも言いました通り嬉野市は観光の町です、今とても厳しい情況です。
現在は外国人の観光客で少しはうるおっていますがいつ来なくなるかもわかりません

ですから今の内九州はもとより日本全体に嬉野のPRをしなければなりません。
後四年後に長崎新幹線が開通して嬉野に駅が出来ます
その時に一人でも多くの人に嬉野におりていただきたいと心から願っています、
私の心は嬉野の市長をやっております。
これからも全国に向けて素晴らしい嬉野の魅力を発信して行きます
今回、私の為にお手伝い頂きましたスタッフの皆様、また、今回私に投票してくださ
いました全ての皆様へ心より感謝申し上げます
本当にありがとうございます。


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