歌手活動

岸川美好デビュー17周年の記念アルバムの製作


岸川美好十七周年記念アルバムの製作
平成25年7月、今年中に100の詩を書く目標を立てました。
そして、その年の10月に目標の100の詩が完成しました。
すぐにでも作曲をして作品にしたかったのですが作品を作るには多額の費用と長い時間がかかりますのでそのままにしていました。
それから二年後の平成27年6月リアルミュージックファクトリー株式会社と言うレコード会社にCDの製作を相談しました。
リアルミュージックファクトリーはとても親切な会社でしたのでこちらで作品を作る事にしました。
当初は2曲入りのシングルCDを作る予定でしたが100も詩がありましたのでこの中から二つの詩を選ぶのはとても困難ですので思い切って16曲入りのアルバムを作る事にしました。
そして、妻と二人で100の詩の中から16の詩を選びました。
作品の内容は夫婦演歌、親子の情、人の道、男と女をテーマにした曲などでした。
早速、妻と二人で選んだ16の詩をリアルミュージックファクトリー株式会社に送りました。
リアルミュージックファクトリーの製作担当者はなかなか良い作品ですのでやりましょうと引き受けてくださいました。
作詞は全て私の作品ですが作曲につきましてはリアルミュージックファクトリーの関連の作曲家の先生にお願いしました。
詩を送りまして約一ヶ月後の7月に最初の作品の曲が送ってきました。
その曲は(母のねがい)と言う作品で娘を嫁にやる時の母親の気持ちを書いた作品です。
次に、ぶこつものと言う作品が送ってきました。
こんな調子で16の曲が出来てきました。
私は、初めてきくメロディーを何度も聴き歌う練習をしました。
私にとりまして一番困難なのが歌詞が見えないと言う事です。
普通の人は歌詞を見ながら歌えますので歌詞を覚える必要はありません。
ところが、私の場合は歌詞を見る事が出来ませんので全て覚えるしかありませんでした。
一曲か二極なら良いのですが16曲も、しかも一番から3番まで全て覚えるのはとても大変でした。
この時だけは、目の見えない事の辛さを感じました。
でも、何とか16曲全ての詩を覚える事が出来ました。
よく、言われるのですが自分が作った詩なら覚えているでしょうと言われます。
ところが、出来上がったらすぐに忘れます。
いつまでも前の詩を覚えていますと次の作品は出来ません。
ですから、自分の作品でもまったく覚えていません。
こんな苦労もありましたが、平成28年1月東京のレコーディングスタジオで吹き込みをしました。
当日はリアルミュージックファクトリーの社長とリレクターが私のレコーディングに立ち会って頂きました。
実は、リアルミュージックファクトリーの社長さんは有名な作曲家で今回アルバムに入っている16の作品は全てリアルミュージックファクトリーの社長さんが作ってくださいました。
レコーディングは通常一日二曲が普通なのですが今回16の作品がありましたのでとてもハードなスケジュールでした。
1月20日、昼12時の飛行機で福夫か空港を出発しました。
13時30分羽田に到着、リアルミュージックファクトリーのリレクターが空港まで迎えに来てくださっていましたので車で都内のスタジオに直行しました。
14時30分スタジオに到着すぐに吹き込みを開始しました。
20時に七つの曲のレコーディングが完了しました。
翌21日16時から開始して21時に六つの吹き込みが終わりました。
翌22日、残りの三曲を吹き込み無事にレコーディングが終わりました。
結局三日間で16の曲を吹き込む事が出来ました。
当初は一日四曲の予定で四日間の予定でしたが想った以上にスムースにいって一日早く終わりました。
1月24日、夕方の飛行機で帰る予定でしたが九州は大雪との予想で午前10時の飛行機で羽田を出発しました。
通常であれば14時に自宅に到着するのですが40年ぶりの大雪で列車が動かず21時にようやく自宅に到着しました。
当初はこのレコーディングがゴールでした。
自分が作った作品が形になればよいと想っておりました。
ところが、レコーディングが終わりレコード会社の人とお話している間に私の心が180度変わりました。
それは、今回作りました16の曲を一人でも多くの人に知って頂きたい、一人でも多くの人に歌ってほしいと想ったからです。
特に今回地元嬉野町をテーマとした(湯の町嬉野しのび宿)はとても良い曲でこの曲をヒットさせ嬉野町のPRになればと想いました。
そこで思い出しましたのが今から40年ぐらい前に盲目の演歌歌手(竜鉄やさん)が奥飛騨慕情と言う曲を発売されました。
あっというまに大ヒットして100万枚のレコードが売れました。
そして、今迄あまり知れていない飛騨地区に多くのお客様が観光に行くようになりました。
私はこの湯の町嬉野しのび宿を第二の奥飛騨慕情にして今迄私を育ててくれた嬉野町に歌で恩返しをしたいと想いました。
そして、私の想いをリアルミュージックファクトリーの社長とリレクターの方に伝えました。
レコード会社の方も私の想いに賛同してくださり全面的に応援をすると約束をしてくださいました。
レコーディングがゴールのつもりでしたがこの様な想いでレコーディングが新たなスタートになりました。


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