岸川美好物語

この文章は、私[岸川美好]の過去57年間の歩みを書いたものです。
障害をハンデーと思い、全てをマイナスに捕らえ、できない、やれないと言い訳ばかり言っていた子供時代・障害をバネにしていろんな物にチャレンジした挑戦の時代。
そして、障害をプラスに思い、障害に感謝できるようになった現在とその時代の思いを正直に書いたものです。
ぜひ、最後まで読んでくださいませ。

第一章 障害に泣いた子供時代
第二章 盲学校入学
第三章 運命を変えた金メダル
第四章 駆け落ち
第五章 初めての独立
第六章 整骨学校の入学
第七章 整骨院の開業
第八章 事業の拡大
第九章 本の出版
第十章 ちんどんで町おこし
第十一章 歌手デビュー
第十二章 夢はNHK紅白出場
第十三章 長崎・東京二人三脚夫婦旅
第十四章 盲導犬アロマとの出会い
第十五章 偉大なる盲導犬アロマとの生活
第十六章 大腸ガンとの戦い

岸川美好物語

岸川美好物語 第十三章 長崎・東京二人三脚夫婦旅

夢を掴むための夫婦の旅

長崎で出発式 平成14年1月15日、夢を掴む為の夫婦旅がスタートしました。 出発は長崎県庁、ゴールは東京のNHK放送センターです。 目的は、紅白歌合戦の出場の直訴です。 長崎は、嬉野から約80キロ西にあり、歩けば五日間か […]

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岸川美好物語 第十二章 夢はNHK紅白出場

紅白出場にかけた一大計画

嬉野町のホテルで新曲発表会 平成12年6月、52歳でキングレコードより演歌歌手として歌手デビューしました。 デビュー曲は、「春びより」・「雪どけ」の二曲です。 当初は、CDが出来たところで終わる予定でした。 ところが、折 […]

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岸川美好物語 第十一章 歌手デビュー

52歳でキングレコードより歌手デビュー

作曲家「市川昭介先生」との出会い 平成11年8月、私の人生を変える運命的な出会いがありました。 それは、作曲家「市川昭介先生」との出会いです。 市川昭介先生は日本を代表する大作曲家で、3000曲以上の作曲をされておられる […]

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岸川美好物語 第十章 ちんどんで町おこし

チンドン屋で全国行脚

長男がチンドン屋を旗揚げ 平成10年8月、嬉野町の夏祭りを盛り上げる為に、長男、伸資が中学時代のパンド仲間と、素人のちんどん屋さんをはたあげしました。 名前は。嬉野町の地名と特産物を組み合わせて、[嬉野温泉お茶らか夢楽団 […]

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岸川美好物語 第九章 本の出版

なんとか本を書きたくて、ある方法を考えました。

どんな人でも悩みがある 平成3年4月、友人の紹介で日本創造教育研究所のSAコースを受講しました。 この研修は、田舞徳太郎さんと言う方が中小企業の活性化を目的に開催しておられる研修で、私も受講しました。 初めに三日間の研修 […]

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岸川美好物語 第八章 事業の拡大

当時は色街として賑わっていた嬉野

義父の死去と決断 昭和56年、義父が59歳で亡くなりました。 それまで、義父がマッサージ院の経営、私が整骨院の経営と、それぞれ別な仕事をしていました。 当時のマッサージ院は、義父と義母と、そして二・三名の社員さんで、営業 […]

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岸川美好物語 第七章 整骨院の開業

妻の実家・嬉野で整骨院を開業

嬉野へ帰ってきました 昭和48年3月、妻の協力で、なんとか柔道整復師の免許をとる事ができ嬉野へ帰ってきました。 四年前、いやでいやでたまらなかった嬉野の妻の実家も、四年間の歳月が思い方を変えてくれていました。 おそらく、 […]

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岸川美好物語 第六章 整骨学校の入学

大阪での生活がはじまりました

一人で夜行列車で大阪に行きました 大阪の整骨学校の入学が決まり、いよいよ大阪に行く事になりました。 私は、働くところ、住む所を探す為に一人で夜行列車で大阪に行きました。 私にとって大阪は初めての町で、西も東もさっぱりわか […]

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岸川美好物語 第五章 初めての独立

経営者として新たな一歩を踏み出しました

毎日毎日、ゼロの日が続きました 駆け落ち、夜逃げと二度の家出の結果、ようやく子供のころからの夢であった、経営者「社長」になる事ができました。 六畳の畳の部屋を板の間に改造して、私だけの小さな治療室が完成しました。 看板も […]

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岸川美好物語 第四章 駆け落ち

妻との運命的な出会い

新たな人生のスタートへ 三年間の盲学校生活は、私にとって、新たな人生のスタートでもありました。 また、物の見方、考え方が大きく変化した時期でもありました。 特に、パラリンピックでの金メダル受賞は、大きな自信になりその後の […]