岸川美好物語

岸川美好物語 第十三章 長崎・東京二人三脚夫婦旅

夢を掴むための夫婦の旅

長崎で出発式

平成14年1月15日、夢を掴む為の夫婦旅がスタートしました。
出発は長崎県庁、ゴールは東京のNHK放送センターです。
目的は、紅白歌合戦の出場の直訴です。
長崎は、嬉野から約80キロ西にあり、歩けば五日間かかります。
あえて、出発地を長崎にしたのは、昔の長崎街道を歩いて見たいとの想いもあり、長崎までさかのぼって長崎を出発地にしました。
出発式は長崎県庁で、長崎ライオンズクラブの皆様が出発式をしてくださいました。
当日は、長崎から東京まで夫婦で歩くと言う事で、沢山の報道関係の人が取材してくださいました。
午前11時、長崎県庁で、出発式をして頂き、午前11時22分、私達夫婦は長崎県庁を出発しました。
出発時間を11時22分にしたのは、「1122いい夫婦」の意味で、この時間を選びました。
多くの人の声援と後押しで、私達夫婦、足取りも軽くスタートしました。
荷物は、背中のリュック一つです。できるだけ荷物を少なくしたつもりですが、それでも約8キロあり、徐々に荷物が肩に食い込み、足取りも重くなってきました。
午後5時、なんとかその日の目的地の矢上町まで来る事ができました。

夫婦で1,500キロの道のりを歩きました。

夫婦で1,500キロの道のりを歩きました。

持っていたカセットが全て売り切れ

矢上町では、カラオケの先生が私達の到着を待って、カラオケのお店で慰労会をしてくださいました。
そして、そこに来ておられたお客様が、私のデビュー曲のカセットを買ってくださいました。
もともとカセットを売る為の旅ではありませんので、カセットも10本ぐらいしか持っていませんでした。
ところが、もっていた10本のカセットが全て売り切れ、一本もなくなってしまいました。
約30分の慰労会を終えて、その日の宿泊のホテルへ到着しました。
ホテルに着いたとたん、疲れと足の痛さで身動きできなくなってしまいました。
でも、お風呂に入り、筋肉をほぐして、早めに床につきました。
翌日、再び昨日のカラオケのお店に行きました。
お店には、私達を支援してくれる人が10人ぐらいこられており、嬉しい出発式をしてくださいました。
あるカステラ屋さんの社長さんが、私達の為にと言ってカステラを沢山持って来てくださいました。
また、東京についたら、テレビの取材をしてもらいなさいと言って、テレビ局の方を紹介してくださいました。
こんな、嬉しいお見送りを頂いて矢上町を出発しました。

カセットを売り歩く

今日の行程は、矢上町から諫早までの約15キロです。
前日の疲労と足の痛さで、足が前にすすみません。
でも、一生懸命に歩きました。
午後3時、一人の女性が私達に声をかけてくださいました。
用件は、私の歌のカセットを買ってやろうと言う嬉しい内容でした。
ところが、前日10本持っていたカセットが全て売り切れて、一本も持ち合わせがありませんでした。
実はこの女性は、その日の朝刊を見て、私達の事をしり、かわいそうと思いカセットを買ってやろうと思われたみたいです。
お詫びを言ってお別れしました。
午後5時、何とか目的地の諫早市のホテルに到着しました。
ホテルにつくなり、すぐにお風呂に入り、筋肉をほぐしてやりました。
そしてお風呂の中で、今日の女性の事を思い出しました。
こうして歩いているだけでカセットがうれるのなら、カセットを持って歩こうと思い、自宅へ電話をして、カセットを50本ぐらい持ってきてもらいました。

諫早の町でキャンペーン

午後8時、まだ寝るのははやいので、諫早の町へ行ってキャンペーンをしようかと妻へ話しました。
妻もやろうやろうと言って、タクシーで、諫早の夜の町に出かけて行きました。
そして、スナックへ飛び込んで行きました。
勿論、目的は私の歌のカセットを売る事です。
一曲歌って、カセットを買ってもらいます。
普通であれば、なかなか売れません。
ところが、そこに来ていたお客様が新聞を見ていて、私達の事を知っておられ、すぐにカセットを買ってくださいました。
私達は、お礼を言ってスナックをでました。
そして、次のスナックへ行きました。
次のお店も、前のお店と同様にカセットが売れました。
10軒ぐらいのお店でキャンペーンをして30本ぐらいカセットが売れました。
今日、昼、出会った女性の人の一言でカセットの販売を思いつき、カセットを持ち歩く様になり、東京到着までに500本以上のカセットが売れました。

三度目の出発式は佐賀県知事

こうして、出発から、五日目に自宅のある嬉野町へ到着しました。
嬉野では、二日間滞在して、三日目の朝、嬉野町の役場で二度目の出発式をしてもらい、ふるさとを後にしました。
そして、それから三日後、佐賀市に到着しました。
佐賀市では、佐賀県知事、直々の出発式を県庁でして頂き、大きな後押しを頂きました。
長崎、嬉野、そして、佐賀市と三度の出発式をして頂き、弾みをつけていただきました。

住所は博多駅

福岡では、博多駅に寝泊りしているホームレスの人が私達の夢を知り、紅白出場の署名を沢山書いてくださいました。
署名の住所は、全て博多駅です。
いままで、ホームレスの人を見た時に特別な人の様に思っていました。
また、怖いと思っていました。
でも、この時の体験でホームレスの人への見方が変わりました。
ホームレスの人とお別れする時に、一人のホームレスの人が、私達に寒いからホッカホッカを持っていけと言ってくださいました。
本当に暖かいプレゼントでした。
でも、私達は歩いているから寒くないと言って、お返ししました。

増え続ける署名

こんな、優しさとぬくもりをいただきながら、歩きました。
そして、出発から二十五日目にふるさとの宇部市に到着しました。
宇部市では中小企業経営者協会の方がお世話をしてくださりいろんな施設に慰問と講演に行きました。
また、紅白出場を後押しする為の署名も沢山頂きました。
三日間の滞在を終え、ふるさと、宇部市を後にしました。

NHKの放送センターに電話

そして、広島県・岡山県・兵庫県と歩き、出発から65日目に大阪へ到着しました。
途中、たくさんの出会いと感動がありました。
大阪で二日間滞在し、それから、東海道を登りました。
大阪から東京までの行程は、当初40日間の予定でしたが、早く帰りたいとの思いで、一日に二日分歩く日もあり、結局、二十五日間で東京へ到着しました。

長崎を出発して、佐賀・福岡・山口・広島・岡山と歩いているうちは、あまりゴールの東京の事は思いませんでしたが、大阪を過ぎたころから、ゴールの東京の事が頭から、はなれませんでした。
それは東京に到着した時に、NHKのだれが会ってくれるかと言う不安でした。
長崎から東京まで、命がけで歩き、しかも全国の人より、四万人以上の署名を頂き、それを届ける大事なゴールです。
できるだけ力のある人に会いたい、と思っていました。
そして、あと十日で到着と言う日に、NHKの放送センターに電話をしました。
内容は

私達夫婦、夢の紅白出場を願い、今、長崎から東京まで歩いています。
あと十日で、東京へ到着します。
ぜひ、紅白の担当の人へあわせてください。

と言う電話をしました。
ところが、電話に出た人は、なんの事かわからず、冷たい返事がかえってきました。
私達はとても不安な思いになりました。
そして、妻と相談して、NHKの会長に手紙を出す事にしました。
手紙の内容は、「あと十日で東京に到着します。ぜひ、会ってください」と言う内容でした。

感動のゴールシーン

感動のゴールシーン。

長崎から東京までの夫婦旅こそが、私達の本当の紅白だった

途中、雨、風、雪といろんな、試練がありましたが、95日目の4月19日、無事、東京のNHK放送センターに到着し、全国の人より頂きました四万七千人の署名をお届けして、紅白の出場をお願いしました。
そして、4月20日、新幹線で嬉野町へかえってきました。
翌日、嬉野町の役場に行き、谷口町長へ無事帰ってきた事の報告に行きました。
町では、私達の活動を評価してくださり、かがやき町民賞をくださいました。
本当に、嬉しい受賞でした。
よく考えてみますと、今回の長崎から東京までの夫婦旅こそが、私達の本当の紅白だったような気がします。
後日、この時の旅日記を「長崎、東京二人三脚夫婦旅」と言う書名で出版しました。
尚、この本の推薦文は、佐賀県知事の井本 勇様が書いてくださいました。

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