岸川美好物語

岸川美好物語 第二章 盲学校入学

昭和38年4月、山口県立盲学校に入学

盲学校のレベルにもついていけなかった

昭和38年4月、山口県立盲学校へ入学しました。
普通であれば中学校を卒業しておりますので、高等部に入学する事ができます。
ところが、小中学校での勉強がまったくできておりませんでしたので、盲学校のレベルにもついていく事ができずに、もう一度中学三年生をする事になりました。
盲学校での生活は、今までと180度違った生活でした。
盲学校は、小学部から専攻科まであり、六歳から六十歳以上の人までおられます。
小中学部は、普通の学校と同じ勉強をします。
高等部は、普通科と保険理療科があり、普通科は、三ヵ年の過程で、普通の高校と同様の勉強をします。
その後、専攻科に行き、鍼灸マッサージの勉強をします。
保健理療科は二ヵ年の過程で、主に、医療関係の勉強をします。

家族的な雰囲気の寄宿舎

私にとって、盲学校での二度目の中学三年生は、とても良い充電の時期になりました。
盲学校は下関市にあり、私の家から列車で一時間かかり、通学には少し困難な距離です。
ですから、私は盲学校の寄宿舎へ入りました。
寄宿舎は大人から子供までいて、とても家族的な雰囲気の所です。
夜は自習時間が二時間あり、わからない所があると同級生や先輩に尋ねる事ができ、とても良い環境の所です。
お陰で、少しづつ勉強もわかるようになりました。
また、野球部の人からスカウトされ、野球部に入りました。

独自ルールの野球ゲーム

盲学校での野球は、普通の野球とはちょっと違っており、とても楽しいルールです。
1チーム、10名でおこないます。
しかも、全く目の見えない人「全盲」が四人以上出場しなければいけません。
また、ピッチャーは全盲と決まっております。
ボールは、ハンドボールで、ホームベースに向けて玉をころがします。
バッターは転がってくるボールをバットで打ち、一塁に走ります。
守っている人は、飛んで来たボールを一塁に投げます。
フライを直接取るとアウト、ゴロは一塁に投げます。
ただし、全盲の人がゴロを捕るとフライと同じ様にアウトになります。
キャッチャーは、手をたたいたり、声を出したりして、ピッチャーに投げる場所を教えます。
ピッチャーは、キャッチャーの声をたよりにボールを投げます。
ホームベースの上をボールが通るとストライク、外れるとボールになります。
目の見える人が打った時は、自分で一塁まで、走ります。
全盲の人が打った時は、一塁のベースの所から、ランナーコーチが手を叩いて打者を呼びます。
早くランナーがベースに届けばセーフ、ボールが早かったらアウトになります。

部活をはじめて、少しづつ走れるように

こんな、ちょっと変わった野球ですが、やるとなかなか面白いスポーツです。
私は、この盲人野球を一生懸命にやりました。
また、時々、重量挙部に行って、重量挙げの練習もしました。
それまで、普通の小中学校では、目が悪い事を理由に、まったくスポーツはやった事はなく、運動は出来ないと思っていました。
でも、盲学校で部活をはじめて、少しづつ走れるようになりました。

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