岸川美好物語

岸川美好物語 第十二章 夢はNHK紅白出場

紅白出場にかけた一大計画

嬉野町のホテルで新曲発表会

平成12年6月、52歳でキングレコードより演歌歌手として歌手デビューしました。
デビュー曲は、「春びより」・「雪どけ」の二曲です。
当初は、CDが出来たところで終わる予定でした。
ところが、折角の歌手デビュー、しかも市川先生に作って頂いた、記念の曲、なんとか知り合いの人にも聞いて頂きたいと想い、新曲発表会がしたくなりました。
妻にお願いして、嬉野町のホテルで新曲発表会をしました。
親戚、友人、知人、社員さんに招待状を送り、200名のお客様が出席してくださいました。
私は、この日の為に紫と白の二つのステージ衣装をつくり、当日に備えました。
妻は、少しでも私の歌をよく聞かせてやりたいと思い、踊りをならい、夫婦初めてのステージが実現しました。
妻もまったく初めてのステージです。
互いに、緊張の中でのステージでした。

岸川美好・洋子

岸川美好・洋子

NHKの紅白歌合戦への出場宣言

私は、生まれて初めての歌手デビューのステージで、大きな夢を宣言しました。
それは、NHKの紅白歌合戦への出場宣言です。
あまりのバカバカしさに、会場のお客様はおなかを抱えて笑いました。
とうぜんの事です。
あのNHKの紅白歌合戦は、歌手の中でも本当に限られた人しか出る事のできない、歌手の最大の桧舞台です。
でも、私は、真剣に、紅白の出場を願いました。
そして、どこに行っても、紅白、紅白と言いつづけました。
すると、不思議な事にいままで笑っていた人が、少しずつ、もしかして実現するのではと思ってくれる様になりました。

きっとここに来ます

私は、毎日、どうすれば紅白に出場できるかを考えていました。
紅白に出場するには、歌が大ヒットして、CDが100万枚以上売れない限り、新人の紅白出場は叶いません。
ところが、100万枚もうる事は到底無理な事です。
まして、どこのプロダクションにも所属しておらず、バックアップしてくれる人も一人もいません。
あとは、奇跡を待つだけです。
そんなある日、妻と二人で東京へ行きました。
私は、折角東京にきたのだから紅白歌合戦のある会場へ行ってみたいと思い、妻に頼んで紅白の会場「東京NHKホール」へ行きました。
そして、会場のNHKホールの壁を触り約束してきました。
「きっとここに来ます」と約束しました。そして、NHKホールを後にしました。

NHKの会長に紅白出場の直訴

NHKホールは、東京の渋谷にあり、渋谷駅から専用のバスが出ています。
私達夫婦、NHKホールとお別れして渋谷行きの専用バスにのりました。
バスの中には、私達の他に二人のお客さんが乗っていました。
一人は、おばあさん、もう一人は、お孫さんでした。
聞くとも無く聞いていますと、そのおばあさんが、お孫さんにこんな事を言っていました。
「今、行ったNHKホールは、昔、オリンピックのあったところよ」と言っていました。
私はその言葉を聴いた時、一瞬ふるえがきました。
なぜなら、それは今から三十数年前、目が悪い事を理由に、できない、やれないと言い訳ばかり言っていた私が、第二回パラリンピックに出場して、金メダルを受賞し、自信を得た運命の場所が、今、夫婦で目指しているあの紅白の場所と知ったとき、きっとこれると確信しました。

それまで、紅白出場の夢はかなうと思ってはいましたが、まだまだ、確信はもてませんでした。
でも、この話を聞いて、運命的なものを感じ、必ずと思える様になりました。
そして夢をかなえるために、一台デモストレーションを考えました。
それは、長崎から東京までの1500キロを夫婦で歩きNHKの会長に紅白出場の直訴をする計画です。
そして、妻に東京まで歩いて行こうと言いました。
妻は、そんなバカな事はと言って反対すると思いました。
ところが妻は、軽い調子で「いこう、いこう」と言いました。
本当に予想外の結果でした。

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