プロフィール

岸川美好と申します。

昭和23年 2月7日
山口県の宇部市で生まれる
昭和38年 4月
 山口県立盲学校に入学する
昭和39年11月
第2回パラリンピック[男子100メートル陸上競技]で金メダル受賞
昭和41年3月
マッサージ師免許取得
昭和44年3月
鍼灸師免許取得
昭和44年6月
結婚[佐賀県の嬉野町へ養子にくる]
昭和48年3月
柔道整復師免許取得
昭和50年5月
整骨院開業
昭和54年7月
岸川本院ビル建設
昭和56年11月
岸川鍼灸院従業員宿舎建設
 昭和57年4月
 有限会社岸川興産設立
 昭和57年4月
 ビジネスホテルの経営
 昭和58年10月
 お灸器具「おわん灸」の特許取得・製造販売
 平成4年11月
 日本創造教育研究所TTコース(企業内トレーナー研修コース)を卒業
 平成5年10月
 本の出版「だれかが助けてくれた」
 平成5年10月
 講演活動を始める
 平成6年5月
 本の出版「続だれかが助けてくれた」
 平成10年8月
 嬉野町のPRを目的とした、ボランティアのちんどん宣伝隊を結成
 平成11年3月
 音楽事務所の設立
 平成11年4月
日本音楽著作権協会の会員取得
 平成11年5月
 日本作詞家協会に入会
 平成11年10月
 ちんどん隊で初の海外遠征
 平成12年6月
 キングレコードより歌手デビュー
 平成14年1月
 NHKの紅白出場を直訴する為に、長崎から東京まで、1500キロを妻と歩く
 平成14年4月
 嬉野町より[かがやき町民賞]を受賞
 平成14年4月
 小さな親切運動の会より表彰される
 平成14年5月
 テレビ朝日「目撃ドキュン」に出演
 平成14年8月
 日本テレビ「24時間テレビ・愛は地球を救う」に出演
 平成14年9月
 盲導犬支援アルバム・二枚を発売
 平成14年12月
 長崎ライオンズクラブ並びに東京虎ノ門ライオンズクラブより盲導犬アロマを貸与される
 平成14年12月
 「盲導犬アロマ」日本初の住民票を交付され、嬉野町の住民に認定される
 平成15年3月
 著書「長崎・東京二人三脚夫婦旅」出版
 平成15年4月
 JBS日本福祉放送(全国放送)のレギュラー番組を担当する
 平成15年4月
 佐賀新聞「あま口から口」の執筆活動を始める
 平成15年5月
 NHKラジオ深夜便「心の時代」に出演、大きな反響を得る
 平成15年6月
 盲導犬の普及と身体障害者補助犬法の周知徹底を願い47の都道府県知事を表敬訪問
 平成15年9月
 身体障害者雇用促進協会より協会長表彰を受賞
 平成15年10月
 盲導犬育成支援の会[アロマ基金]を設立する
 平成16年 2月
 岸川鍼灸院本院ビル三階にライブハウスアロマ館を建設
 平成16年 5月
 岸川鍼灸院本院ビル二階に足湯[アロマの足湯]を建設
 平成16年 6月
 盲導犬の普及と身体障害者補助犬法の周知徹底を願い、佐賀県49の市町村を訪問する
 平成16年12月
 佐賀県の嬉野町において、第一回盲導犬フェスタin嬉野を開催し、全国の皆様より頂きました盲導犬の支援金450万円[盲導犬三頭分の育成費]を財団法人福岡盲導犬協会に贈呈
平成17年9月
障害者の雇用を積極的におこなった事を評価され、[平成17年度障害者雇用優良事業所]として厚生労働大臣賞を受賞する
平成17年10月
第二回盲導犬フェスタin嬉野を開催し、盲導犬一頭分の育成費150万円を財団法人九州盲導犬協会に寄贈する

いつも言い訳ばかり言っている子供時代

わたくしは、昭和23年、山口県の宇部市で生まれました。

子供のころから目が悪く、いつも、できない・やれないと言い訳ばかり言っている子供時代でした。

その為に、学業成績も悪く、国語1・数学1・社会1・音楽1・体育1と、全ての教科が、オール 1と、悲惨な成績でした。

その為に、目の悪い子供を生んだ 両親や社会を恨み、自分の障害を大きなハンデーと思っておりました。

 

前向きの心に変化したきっかけは1964年の金メダル

そんな私の人生を変えた大きな出来事がありました。

それは、昭和39年11月、東京で開催された、第一回パラリンピック[身体障害者のオリンピック・男子100メートル陸上競技]での、金メダル受賞でした。

この時の金メダルがきっかけとなり、少しづつ自信がもてる様になり、後ろ向きの心から、前向きの心に変化して、なんでも、チャレンジできる様になっていきました。

結婚、そして駆け落ち

昭和43年、福岡の鍼灸学校で、妻と出会い結婚を約束しました。

妻は、佐賀県の嬉野町で、鍼灸治療院の後とり娘として生まれ、子供のころから、家業を継ぐ事を義務づけられており、福岡の鍼灸学校にかよっていました。

昭和44年3月、鍼灸学校の卒業を待って、妻の実家に結婚のお願いに行きましたが、妻の両親は目の悪い私との結婚を大反対、結局二人で山口県の岩国に駆け落ちしました。

その後、妻のお腹に長男がやどり、妻の両親も、しぶしぶ、養子を条件に、結婚を許してくれました。

 

様々なビジネスにチャレンジしていた時代

昭和46年、大阪の整骨学校に入学。整骨の免許を取得し、昭和50年嬉野町で整骨院を開業しました。

その後は鍼灸院の開業、お灸器具の製造販売・ビジネスホテルの経営・アパート経営と、いろんな事業にチャレンジしてきました。

そのころの私の心は、子供のころから目が悪く、学業成績も悪く、馬鹿にされた悔しさと劣等感で社会に反発し、事業を大きくする事ばかり考えていました。

その後、妻の身体の異常や息子の非行などで今までの思い方や考え方の誤りにきづき、物中心から少しづつ心中心の思いに変化してきました。

 

自伝「だれかが助けてくれた」の出版

平成5年、自らの体験を書いた自分史[だれかが助けてくれた]を出版・翌年、[続だれかが助けてくれた 心をみつめて]を出版しました。

いずれの本も、全国の盲学校並びに点字図書館に寄贈しました。

また、佐賀県の中学校以上の学校に寄贈し、多くの若者に読んで頂きました。

この本の出版がきっかけとなり、学校・企業・福祉施設などに招かれ、講演活動をする様に成っていきました。

 

ちんどん隊結成とキングレコードからの歌手デビュー

平成10年、息子が始めた町興しのちんどん宣伝隊[嬉野温泉お茶らか夢楽団]のメンバーに入り、音楽の道に入りました。

平成11年、嬉野町のご当地ソング[ちんどん嬉野極楽音頭]・[肥前嬉野恋の町]の二つの詩を作り、作詞家としてスタートしました。

平成12年、作曲家[市川昭介先生]との出会いがあり、キングレコードより[春びより]・[雪どけ]の二つの曲で歌手デビューしました。

いずれの曲も、作詞 岸川美好、作曲 市川昭介先生の作品で、私達の人生を書いた作品です。

 

妻と二人、夢の実現のためNHKまでの1500キロの道のりを歩く

私は平成12年6月歌手デビューの日にNHKの紅白出場を宣言し、紅白のだるまに目入れをしました。

それ以来、どこに行っても、だれとあっても、紅白出場の事ばかり言い続けてきました。

当初はあまりにも無謀な目標の為に、だれも本気にはしてくれませんでしたが、真剣に言い続けていると、いつの間にか私の思いが天に通じて、私を紅白に出場させてやろうという署名運動が始まりました。

私は夢を実現する為に、長崎から東京までの1500キロを妻と二人で歩く決心をしました。

目的は、紅白の出場をNHKの会長に直訴する事と、盲人にとって、大切な盲導犬の育成支援を訴える事でした。

出発は平成14年1月15日、長崎の県庁前を出発し、途中15の都府県に立ち寄り、学校や福祉施設で歌と講演などで慰問活動をしました。

また、盲導犬の募金活動や、紅白出場の為の署名運動を行い、95日目の4月19日、無事ゴールの東京のNHK放送センターに到着しました。

この間、毎日が出会いと感動の連続で、たくさんの人から、助けて頂きました。
ゴールのNHK放送センターでは、センター長が出迎えてくださり、私達夫婦の想いと、全国の人から頂いた39700名分の署名を受け取って頂きました。

また帰宅後は、私達の旅を評価して頂き、嬉野町より[かがやき町民賞]と言うすばらしい賞を頂きました。

本当に私達夫婦に取って、嬉しい受賞でした。

 

障害は、神様からの最高の贈り物

平成14年10月、不足している盲導犬を一人でも多くの視覚障害者の人に贈りたいとの思いで、岸川美好&洋子盲導犬支援チャリティーアルバムを発売しました。

今、こうして過去を振り返ってみて感じる事は、節目、節目で、運命的な出来事と、出会いがあったと言う事です。

子供時代、視覚障害と言うハンデーが、大きな、障害となり、全ての物をマイナスにとらえて、後ろ向きに生きていました。

でも、ある日、小さな出来事が、きっかけとなり、障害をプラスに思える様になったときから、障害に感謝できる様に成っていきました。

すると不思議なことに、どんどん道がひらけて、今まで出来ないと思ったことが出来る様になってきました。

まさに障害は、神様からの最高の贈り物だったような気がします。