岸川美好物語

岸川美好物語 第九章 本の出版

なんとか本を書きたくて、ある方法を考えました。

どんな人でも悩みがある

平成3年4月、友人の紹介で日本創造教育研究所のSAコースを受講しました。
この研修は、田舞徳太郎さんと言う方が中小企業の活性化を目的に開催しておられる研修で、私も受講しました。
初めに三日間の研修、次に四日間の研修、次に80日間の研修と段階的に研修がありました。
最後は、八ヶ月間の研修があり、経営者としてのいろんな研修があります。
勿論、自分のすきな所でやめてよいのですが、私は最後まで進む事にしました。
私はこの研修を受けて、ある事にきづきました。
それは、どんな人でも悩みがあると言う事をしりました。
この研修の一番初めのコースは、SAコースと言って三日間のコースです。
三日間の研修が終わると、最後にインタビューと言って個人の面談があります。
約1時間、受講生とお話します。
私は、このインタビューを1300人しました。
つまり、1300人の人の生き方、考え方を知る事ができました。

目がよく見えても、自分の可能性や、他人の可能性が見えない

そして気づいた事は、人は、どんな人でも自分の事が見えていないと言う事をしりました。
そして、多くの人が、自分の可能性に気づかず、できない・やれないと言っている事もしりました。
私は、子供のころから、目が悪く、しかも学業成績も悪く、自分が一番劣っていると自分自身を卑下していました。
でも、多くの人のお話を聞くうちに、健常者と言われる人もみんな、ある意味で心に障害を持っていると言う事にきづき、いままで持っていたコンプレックスが少しづつ消えて行きました。
そして、人類みな障害者なのだと思える様になりました。
たしかに、目のよく見える人は、遠くにいても人の顔が見えます。
でも、自分の可能性や、他人の可能性にきづかない事も沢山あります。
ある意味では、心の障害者かもわかりません。
こうして、日本創造教育研究所の研修を受けて、いろんな事を学び、講演も出来る様になりました。

自分の体験を100パーセント伝えたい

そんなある日、佐賀の経営コンサルタントの先生の事務所が出来、私が講演を依頼されました。
私は子供のころからの体験話を一生懸命にしました。
約1時間半の講演時間でしたが、あっというまに時間がきて講演が終わりました。
講演終了後、あれも話したかった、これも話したかったと、思いました。
ところが、講演は時間に限りがあり、言いたい事の半分もお話することができません。
私は、何とか、自分の体験を100パーセント伝えたいと想い、本「自分史」を書く決心をしました。
ところが、私は、文字を書いた事が無く、しかも、点字もうまくはかけません。
でも、なんとか本を書きたいと思いました。
そして、ある方法を考えました。

画面は無視して、思った事をどんどん書きました

それは、ワープロを練習して、キーボードで文字を書く事でした。
早速、ワープロを買ってきて、キーボードの練習をしました。
なんとかキーボードの位置を覚えて、打てる様になりました。
ところが文字も見えず、自分でもどのように書いているかがわかりません。
でも、画面は無視して、とりあえず、思った事をどんどん書きました。
途中で人が話しかけたりすると、今まで書いたことを忘れてしまい、また、はじめから書き直しました。
でも、なんとか最後まで書くことができました。
次は、私がむちゃくちゃに書いた原稿を妻が書き直します。
ワープロは、変換があり、変換違いでまったくちがった意味になります。
妻は、意味不明の私の原稿を、想像しながら仕上げてくれました。

岸川美好の著書

岸川美好の著書「だれかが助けてくれた」「続だれかが助けてくれた」「長崎・東京 二人三脚夫婦旅」

字を知らない私が本を書けた

そして、平成5年10月「だれかが助けてくれた」と言う本が完成しました。
初版は、思い切って3000冊作りました。
ところが、3000冊の本が約二ヶ月で完売して、増版しました。
はじめは、正直言ってあまりうれないとおもいました。
ところが、以外にも、飛ぶように売れて、結局一万冊も売れました。
そして、翌年、「続だれかが助けてくれた」を出版しました。
私は、子供のころから、目が悪く、黒板の字も教科書も見ることが出来ず、成績は、国語1・数学1・社会1・音楽1・体育1と全ての教科がオール1でした。
でも、やる気があれば、本を書く事もできました。
私にとって本の出版は、本当に嬉しい体験でした。
なぜなら、字を知らない私が本を書けたからです。
尚、平成15年3月、三冊目の本、「長崎・東京二人三脚夫婦旅」を出版しました。

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