岸川美好物語

岸川美好物語 第四章 駆け落ち

妻との運命的な出会い

新たな人生のスタートへ

三年間の盲学校生活は、私にとって、新たな人生のスタートでもありました。
また、物の見方、考え方が大きく変化した時期でもありました。
特に、パラリンピックでの金メダル受賞は、大きな自信になりその後の人生の転機になりました。

四畳半のアパートで自炊生活

盲学校ではマッサージの資格をとり、高等部を卒業しました。
その後、鍼灸の免許を取得するために福岡市の福岡光明寮と言う鍼灸マッサージの学校へ入学しました。
福岡光明寮は、中途失明者の自立と社会復帰を目的に、大木先生と言う方が資産をなげうってつくられた視覚障害者の鍼灸マッサージの養成施設で、九州、山口地区の中途失明者を対象にした学校です。
生徒は比較的高年齢の人が多い学校です。
コースは、マッサージコース[二年間]・鍼灸コース[三年間]の二つのコースがあり、私は、鍼灸のコースへ入学しました。福岡光明寮は、寺子屋みたいな学校で、昼は、学校、夜は寄宿舎になっていました。
私は盲学校でマッサージの資格をとっていましたので、市内のマッサージ院で働きながら、学校へ通っていました。
私が勤めたマッサージ院は、博多駅の近くで、ホテルの出張を専門にしているお店で10名の女性のマッサージさんがいました。
ホテルからのマッサージの注文は、90パーセントが女性の注文で男性の仕事は、ほとんどありませんでした。
私は、そのマッサージ院の近くの四畳半のアパートを借りて自炊をしていました。

仕事がほとんどない日々

私にとって初めての一人ぐらしで、けっこう楽しめた時期でもありました。
約三ヶ月間、勤務したのですが、まったく男性の仕事がなく、仕方なく別なマッサージ院へ変わりました。
ところが、そこもあまり仕事が無く、約二ヶ月で別のマッサージ院へいきました。
こんな調子で、三年間で七軒のマッサージ院を渡り歩きました。
学校は、午前九時から始まり、午後二時過ぎに終わります。
ところが、マッサージの仕事は、夜が中心で、仕事が終わるのは、深夜1時過ぎ、それから夜食を食べたり、お風呂に入ったりすると寝るのは午前3時過ぎになります。
その為に、朝ねぼうして、目がさめたら昼過ぎと言う事は、珍しくありませんでした。
ですから出席日数がたらず、春休みに埋め合わせに学校へ行っていました。
こんな、調子で、二年が経過しました。

自分の妻にするのはこの人しかいない

そんなある日、学校の近くの電停で運命的な出会いがありました。
妻「岸川洋子」との出会いです。
彼女は、私の同級生の全盲の女性を電車に乗せていました。
私は、その様子を見て、親切な女性がいると思いました。
たずねて見ると、同じ学校の生徒と言う事がわかりました。
彼女は、マッサージ科の二年生で、家業のマッサージ院の後を継ぐために入学していました。
本来、この学校は、目の悪い人が行く学校なのですが時々健康な人もいます。
運命的な出会いから、一週間後、彼女の同級生に頼んで、会える様にしてもらいました。
私は初めてあった時、自分の妻にするのはこの人しかいないと直感的に思いました。

出会ってから1週間でプロポーズ

そして、一週間後、彼女に「来年卒業したら、結婚して欲しい」とプロポーズしました。
彼女も、「うん」と言ってくれました。
私は、母に電話で結婚相手を見つけたと言いました。
母は、慌てて、福岡に出てきてくれました。
そして、彼女にあってくれました。
結果は、大賛成。
翌三月、無事卒業する事ができました。
早速、母と兄と仲人さんで彼女の家に結婚のお願いに行きました。
ところが、彼女の両親は、結婚に大反対。
あっさり断られました。
よく考えて見ると、当たり前の事です。
ようやく、跡取り娘がマッサージの資格をとってこれからと言う時に、どこの馬の骨かわからない男が来て、娘をくれと言われても、やれないと言うのがあたりまえです。
しかも、私は、視覚障害者、娘は健常者です。
よりによって目の悪い男に娘はやりたくないと思う気持ちもよくわかります。

駆け落ち

実は、あらかじめこうなる事は予測していました。
ですから、次の手も考えていました。
それは、駆け落ちです。
そして、翌日、実行しました。
彼女は、ちょっと郵便局へ行ってくると言って家をでました。
私は、武雄駅で彼女が来るのを待っていました。
そして、博多行きの特急に乗りました。
行き先は、私の実家の山口県の宇部市です。
夕方、実家につきました。
母に、駆け落ちして来たと話しました。
母は、びっくりした様子でしたが、彼女の事を気にいっていましたので、駆け落ちの手伝いをしてくれました。
母は、すぐにおってがくるはずだからどこか、遠いところへ逃げろと言ってくれました。
早速、その日の夜行列車で島根県の一畑薬師に逃げていきました。
勿論、逃亡費は、母が出してくれました。

結婚三ヶ月後の夜逃げ

翌日、私の実家に彼女の母とおじが彼女をつれもどしにきました。
母は、知らぬ存ぜぬの一点張りで応対しましたが、追手には母が逃がした事は、感づかれていました。
私達は、盲学校時代の先輩を頼り、山口県の岩国に行きマッサージの仕事をしました。
勿論、アパートを借りる資金も、当座の生活費も母が送ってくれました。
駆け落ちから約三ヶ月後、彼女のお腹に長男が宿りました。
彼女は、恐る恐る、実家の母に電話をしました。
親の反対を押し切って駆け落ちをして子供まで出来ており、ずいぶんカンカンでしたが、養子を条件にしぶしぶ結婚を許してくれました。
そして、佐賀県の嬉野町へ帰りました。
ところが、もともと歓迎されていった養子ではなく、子供ができたから仕方なく許してもらった結婚ですので、居心地が良いはずはありません。
結局、結婚三ヶ月後に再び、夜逃げをしました。
朝早く、両親が眠っている隙を見て、二人で家出をしました。
行き先は、勿論、私の実家の山口県です。

夢が実現できた日

こんどは、すぐに私の実家に電話がありました。
すぐに帰ってこいと言う電話でした。
私は、二度と、嬉野には帰らないと決めておりましたので、はっきり、いやといいました。
結局、妻の両親がおれて、打開案を出してくれました。
それは、三年間の猶予でした。
三年間は、好きな様にしてよい、その代わり、三年たったら、嬉野へ帰ってこいと言う話でした。
私達は、その条件を呑む事にしました。
いよいよ、晴れて自由を手にする事が出来ました。
私は、早速、母に頼んでマッサージ院の開業をしました。
実家の六畳の部屋を改造して、ベットを二台入れました。
そして、看板屋さんにお願いして、マッサージ院の看板を作ってもらい、実家の壁につけてもらいました。
屋号は、「岸川鍼灸院」です。
私にとって、初めての独立であり、事業主になった日です。
子供の頃、父親の姿を見て、自分も大きくなったら社長になると思った夢が実現できた日です。

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