岸川美好の歩み

岸川美好の歌手デビュー

作曲家・市川昭介先生との運命的な出会い

運命の出会い

平成11年8月、私の人生を変える運命的な出会いがありました。

それは、作曲家「市川昭介先生」との出会いです。

市川昭介先生は日本を代表する大作曲家で、3000曲以上の作曲をされておられる大先生です。

知人から佐賀に市川先生がこられる、食事会をするから君達も参加しないかとのお誘いを頂きました。

私は、妻と母と長男とお友達の五名で参加しました。

私は、こんな有名な先生にお会いできるのはこれがはじめての最後だと思い、なんとか私の事をしっていただきたいとおもいました。

そして、三つの作品を作り当日持参しました。

そして、私の作った三つの詞を、市川先生におわたししました。

これは、私の人生を書いた作品です。ぜひ、見てください

と言ってお渡ししました。

勿論、一方通行で終わると思っていました。

なぜなら、日本を代表する大作曲家の先生が、私の様な素人の作った作品を見てくれるはずはないと思っていました。

思いもかけない1本の電話

ところが、奇跡がおこりました。

それから、五日目に、市川先生から、直接お電話がありました。

内容は、

君の詞を見たよ、とても暖かくて良い詞だ。

もし、よかったら、ぼくが曲をつけようか

と、思いもかけないお電話でした。

私達夫婦は、飛び上がってよろこびました。

夢ではないかとも思いました。

でも、夢ではなく現実の事でした。

私は、一も二もなく、お願いしました。

曲名は、「春びより」「雪どけ」の二曲です。

日本を代表する大作曲家、市川昭介先生との出会いによって歌手デビューを果たすことができました。

日本を代表する大作曲家、市川昭介先生との出会いによって歌手デビューを果たすことができました。

勇気を出して歌手デビューにチャレンジ

約二十日後、再び市川先生よりお電話がありました。

内容は、「この歌はだれが唄うか」と言うお電話でした。

私は曲が出来る事だけで大満足していましたので、歌の事などまったく頭にありませんでした。

でも、よく考えて見ると、歌は、歌い手があって始めて歌になります。

私は、だれか、歌のうまい人に歌っていただこうと思っていましたが、知人から自分の人生を書いた作品なら、自分が歌ったほうがよいと薦められて、「そうかなー」と想い唄う決心をしました。

実は、私は、それまで、歌などまったく唄ったこともなく、無理とおもいました。

でも、よく考えて見ますと、16歳の時、第一回パラリンピックで、生まれて初めての水泳で、50メートルも泳げたのだから、歌もきっと唄えるのではと想い、勇気を出して歌手デビューにチャレンジしました。

それからは、毎日が、歌の練習です。

寝てもさめても、歌の練習です。

先生は、妻の洋子です。

勿論、妻も歌の事などまったくわかりません。

でも、なんとか私を一人前の歌手にしてやりたいとの思いで、歌の練習につきあってくれました。

よく考えて見ますと、大阪での整骨学校の時、私の家庭教師になって、援助してくれたことを思い出しました。

改めて感じた「人生の面白さ」

市川先生と初めてお会いして、約10ヶ月後、52歳でキングレコードより歌手デビューしました。

はじめは、息子が始めた、町おこしの為のちんどん隊のメンバーでしたが、いつの間にか大作曲家の先生にお会いして、自分自身が演歌歌手としてデビューする事になるとは、まったく思いませんでした。

あらためて、人生の面白さを感じました。

その後、妻も、私ができたのだから自分もできると言って、CDデビューをしました。


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